今回は体験談をもとに、インタビューをした内容をもとにご紹介します。

その内容というのが『特別支援が級の基準』というものです。

とある子を持つ親の方の実体験です。

『お子さんは特別支援学級へ入学する可能性があります』

その日、『市の教育指導員』と名乗る人にそう言われました。

『お子さんのことでちょっとお話ししたいことがある』と保育園から連絡があり、個別面談に応じた時のことです。

最初に言われたときの印象は、少しびっくりしました。

もうすぐ小学校に入学する息子は、特に身体的に不自由があるわけでもないし、精神的に不安定でもない。

では、何故息子が?

その理由は?その基準は何?

びっくりした後に、このような疑問が頭に浮かんできました。

学校の先生に聞いたり、色々と調べてみた所、どうやら今は、私が子供の頃の昔とは違い、特別支援学級に在籍する基準が変わってきているようです。

一体、どのような基準になっているのでしょうか?

今と昔は、どう違っているのでしょうか?

『特別支援が級の基準』についての現状を『今と昔』と比較してご紹介していきます。


文部科学省のHPには、特別支援学級に在籍する基準となる項目が書かれています

抜粋してみると、次の通りです。

(※文部科学省 『特別支援教育について』より)

 

①視覚障害

視力や視野などの視機能が十分でないために、全く見えなかったり、見えにくかったりする状態。

 

②聴覚障害

身の回りの音や話し言葉が聞こえにくかったり、ほとんど聞こえなかったりする状態。

 

③知的障害

記憶、推理、判断などの知的機能の発達に有意な遅れがみられ、社会生活などへの適応が難しい状態。

 

④肢体不自由

身体の動きに関する器官が、病気やけがで損なわれ、歩行や筆記などの日常生活動作が困難な状態。

 

⑤病弱・身体虚弱

慢性疾患等のため継続して医療や生活規制を必要とする状態、病気にかかりやすいため継続して生活規制を必要とする状態。

 

⑥言語障害

発音が不明瞭であったり、話し言葉のリズムがスムーズでなかったりするため、話し言葉によるコミュニケーションが円滑に進まない状況であること、また、そのため本人が引け目を感じるなど社会生活上不都合な状態であること。

 

⑦自閉症・情緒障害

情緒の現れ方が偏っていたり、その現れ方が激しかったりする状態を、自分の意志ではコントロールできないことが継続し、学校生活や社会生活に支障となる状態。

 

⑧LD、ADHD

LD(学習障害)とは、知的発達の遅れは見られないが、特定の能力に著しい困難を示すものです。

また、ADHD(注意欠陥多動性障害)とは、発達段階に不釣り合いな注意力や衝動性、多動性を特徴とする行動の障害です。

 

市の教育指導員の方や、学校の先生と会話を進めていく中で今現在、上の項目の中で特に⑧が理由になり、特別支援学級に在籍するお子さんが増えていることが分かりました。

ちなみに『LD(学習障害)』とは、上記にも記しましたが、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、

  • 聞く
  • 話す
  • 読む
  • 書く
  • 計算する

又は推論する能力のうち、特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態の事。

 

『多動性障害(ADHD)』とは、年齢あるいは発達に不釣り合いな注意力、及び/又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすもの。

と定義されています。

特に病院などで診断を受けたわけではありまあせん。

しかし、とにかくむちゃくちゃマイペースで、集団行動という概念があってないような感じな為、おそらく多動性障害(ADHD)の『社会的な活動や学業の機能に支障をきたす』の部分に当てはまったのだと思います。

『そういうお子さんも最近は多いんです』

教育指導員の方や学校の先生は、やけにこの言葉を主張していたそうです。

それが何とも気になったといいます。

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特別支援学級は『劣っている』のか?

ナイーブな話題だが切り込んでみたいと思います。

教育指導員の方は言っていました。

『昔は特別支援学級というと、何か身体に障害のあるお子さんが、その障害に合わせて学習をするという学級でしたが、今はちょっと違うんです。

今は、学校生活がストレスなく楽しく過ごせるように、子供たちの心の落ち着き場としての役割も持っているんです』

この言葉には賛成です。

それと同時に、特別支援学級が(健常者に比べて)どこか不自由な子供が行く場所だと、勝手に思い込んでいた自分が恥ずかしくなりました。

そもそも、劣っているかどうかの判断というのは、他人が決めることではありません。

特に目立った身体的特徴でなくとも、各々が『自分は劣っている』と思うところがあれば、それは劣っているということになるし、『自分の特徴のうちの一つだ』ととらえれば、時にそれは大きな強みにもなります。(乙武洋匡さんなどが良い例ではないでしょうか)

優劣は自分が決めるものなのです。

 

特別支援学級というのは、何かが劣っている子供が押し込まれる箱ではありません。

義務教育を受ける所として、数年間を楽しく健やかに過ごすための『場の一つ』だと感じるのです。

私の息子はその後、何度か学校の先生との面談を受けた結果、『通常学級と特別支援学級を、本人の状態に合わせて行き来する』ということになりました。

マイペースが命!の息子が、集団行動に違和感を覚えてストレスを抱えそうになった時には、特別支援学級に移動して自分のペースで学習するというものでした。

いいじゃないか、それで。

と、私は思いました。

ある意味、本人の自主性を育てるものにもなりますし、その方がごく自然です。

角ばった箱で囲まれ、仕切られた教室は、なんとなく『このテリトリーから出られない』雰囲気を醸し出します。

でも、違うんです。

学んで過ごす『場』は一つじゃありません。

それに、『場』と『場』を行き来するということもできます。

自由に選択できるのは、逆に特典です。

生きていくために必要な読み書きそろばんを、いかに『子供本人が充実して学べるか?』の場所の一つが、特別支援学級なのです。

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親の力の見せどころ

世の中には様々な価値観を持つ人がいらっしゃいます。

ここまで書いてきた私の自論に『うんうん』と頷いてくれる人もいれば、『きれいごとばっかり並べて、実際はそんなに甘くない』と反論する人もいるでしょう。

これは、そっくりそのまま子供の学校生活にも現れるはずです。

特別支援学級に本人が良しとして在籍していても、周りには『あいつは出来ないやつだからあそこにいるんだ』と思う人もいるでしょう。

中には、行動や言葉で『お前は劣っている』と表現してくる者もいるかもしれません。

 

もしそうなったときには、子を守る親として『選択肢』を持っておきたい。

  • 学ぶ場所を変えるという選択。
  • 学び方を変えるという選択。

生きていくために必要な読み書きそろばんは、一つの場所でなければ習得できないというわけではない。

角ばった箱で囲まれ『このテリトリーから出られない』雰囲気を醸し出す教室。

そしてその集合体である学校からは、その気になれば出られるのです。

 

新たな学びの場に通うのも一つだし、今はインターネットが発達しているから、オンラインで学べることも山ほどあります。

教育指導員の方や学校の先生がやけに主張していた

『そういうお子さん(本人のストレス回避のために特別支援学級に通う子供)も最近は多いんです』

という言葉からは、おそらく特別支援学級に対して、まだ旧来のイメージを持っている人が多いと推測されます。

そのような価値観に傷つけられそうになった時には、親が子に選択肢を提示してあげられるかどうか?

が、子供を守るための重要な部分になるのではないでしょうか。

 

特別支援学級、今と昔の違い

 

こういうふうに、比べるのもちょっと違うと思いますが、実際にどのように違うのか、簡単にまとめてみました。

まず、上では述べていないですが、名前が違うようです。

昔は、『特別支援学級』『特殊学級』と呼んでいました。

また、その基準が昔範囲も狭く、今に比べ人数は少なかったようです。

今現在は、先に述べた通り昔に比べ基準が広がったため、全国的に子供数は減っていますが、学級に入る人数は増えています。

 

最期に、価値観が変わってきてると思います。

昔はただ、一緒に学ぶことが出来ないという視点だったと思います。

しかし今は、子供達が読み書きそろばんを覚えるために、『適した場所』として変わってきた事。

その子供が如何に充実して学べるか!?という視点や思考に時代が変わってきたのだと思います。

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子供本人が充実して学べるかどうか?

 

長文になりましたが、結局本質的なところは、先に何度か述べたように、生きていくために必要な読み書きそろばんを、いかに『子供本人が』充実して学べるか?

という事と、それと集団行動の場を結びつけた結果、『特別支援学級』というものがあるのだと思います。

四角い箱(教室)で仕切られる、能力テストなどの数字で判断されるなどの、表面的なことに惑わさされないようにしたいものです。