癌の宣告ほど悲しくて酷いものはありません。
俳優今井雅之さんの癌との戦いも、最期は死去という結末を聞くと、さぞかし壮絶なものであったことと思います。
しかし、医学の進歩とともに治癒率も高まり、治療に専念できる環境が整い、治癒・復帰という道筋が整ってきています。
そんな中でも、やはり今井雅之さんのように若くして罹患し、進行を抑える事ができず、薬効治療のかいもなく死去するという事態を招いてしまうおぞましい病気です。
高倉健さんなどの芸能人の死去から考える今後や未来、体験談を含めご紹介していきます。
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癌になった・・・その時どうするか?

ちろりーん。スマホが音をたてて、 飛び込んできた今日のニュースは、衝撃とともにあまりにもショックなものでした。
『今井雅之さん死去 大腸がん、容体急変』あまりにも早いお別れでした。
大腸がんで舞台を降板し、 話題になっていた、今井雅之さんが、まだ54歳という若さで死去しました。
誰でもいつかは迎える最期の時。
それが、早いか遅いか。
言ってしまえばそれだけのことですが、 やはりそれはかなりショックなことです。
その時は突然やってくる

私は片親で育ってきましたが、 母親は去年69歳で亡くなりました。
一緒に暮らさなくなってから、 10年以上経ってましたし、元々だらしないところ もある母だったので、癌になったという知らせを聞いた時は、 正直ショックは感じませんでした。
なんせ知ったのが母からのメール。
『なんか入院になった!』(ピースしてる写メ付き)
その後、姉から癌だとは聞きましたが、 たいして心配はしていませんでした。
最近は癌になっても復活して元気にしている人は多くいますし、母の場合、高倉健さんの死因となった悪性リンパ腫という血液のがんでしたが、生存率もわりと高く、漠然と大丈夫だろうと思っていました。
悪性リンパ腫ってどんな病気なの?
そもそも、悪性リンパ腫とは血液の癌で細菌やウイルスなどの病原体を退治する機能をもつ免疫システムの一部であるリンパ系組織とリンパ外臓器(節外臓器)から発生するものです。
リンパ系組織は、リンパ節、胸腺や脾臓、扁桃腺などの組織・臓器と、リンパ節をつなぐリンパ管やリンパ液からなっています。
リンパ系組織は全身にあるため、悪性リンパ腫も全身すべての部位で発生する可能性があリます。
リンパ外臓器(節外臓器)は、
- 胃
- 腸管
- 甲状腺
- 骨髄
- 肺
- 肝臓
- 皮膚
などです。
そして、悪性リンパ腫になる原因は、まだ明らかではありませんが、一部にはウイルス感染症が関係することや、免疫不全者に多いことがわかっています。
悪性リンパ腫には30種類以上の病型がありますが、腫瘍細胞の形や性質から、大きくホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫の2種類に分けられています。
ホジキンリンパ腫は、日本では少なく、悪性リンパ腫のうちの約10%です。
非ホジキンリンパ腫に比べ、治癒率の高い(約65~80%)病気で、さらに古典的ホジキンリンパ腫、および結節性リンパ球優位型ホジキンリンパ腫に分けられます。
非ホジキンリンパ腫は、悪性リンパ腫のうち約90%を占めています。
ホジキンリンパ腫は、全身に広がる可能性があるが、ホジキンリンパ腫よりも非ホジキンリンパ腫のほうが前身に広がる可能性が高くなっています。
そして、非ホジキンリンパ腫の程度をみてみると、臨床経過からみた非ホジキンリンパ腫の分類ということで、低悪性度・中悪性度・高悪制度の3段階で紹介されています。
- 低悪性度(年単位で進行):濾胞性リンパ腫、MALTリンパ腫など
- 中悪性度(月単位で進行):びまん性大細胞型B細胞リンパ腫、未分化大細胞型リンパ腫など
- 高悪性度(週単位で進行):リンパ芽球性リンパ腫、成人T細胞白血病・リンパ腫・パーキットリンパ腫など
そして悪性リンパ腫の症状は、首や腋の下、足の付け根などリンパ節の多いところに、通常、痛みのないしこりとして現れてきます。
また、原因不明の発熱や体重の減少、寝具の取り替えを要するほどのひどい寝汗がみられることがあリます。
そのほかに、体がかゆくなる、皮膚に発疹が出るなどの症状が現れることもあります。
悪性のリンパ腫が形成した腫瘤により気道や血管、脊髄などの臓器が圧迫されることで、気道閉塞、血液障害、麻痺などの症状が現れ、緊急対応を要することがあります。
日本で悪性リンパ腫にかかる患者さんは、年間10万人あたり約10人であり、また、小児の悪性リンパ腫では成人とは病態や治療が異なるため注意が必要です。
私の自宅と母がいるところは新幹線で1時間半程の距離。
一応すぐに子供を連れて病院に会いには行きましたが、相変わらず元気そうで、リハビリの先生がイケメン!とか くだらない会話をしただけ。
あーはいはい、 元気そうで良かったね。
その程度の感覚でした。
言いようのない不安

それから2ヶ月後、入院中に脳梗塞をおこし、 半身麻痺&失語症になった母。
失語症といっても、 片言でなにかを話すことは出来ていました。
脳梗塞の重病性を再認識
脳梗塞は、脳卒中の一つで、頭の中の血管が詰まることにより生じる疾患です。
そもそも、脳卒中とは頭の血管が詰まる、もしくは切れることによって起きる疾患です。
血管が切れる事によって生じる脳出血や脳動脈瘤の晴れるによるクモ膜下出血があります。
そして、脳卒中は主な死因となることや障害をもたらす原因の疾患として注目されており、日本人死亡原因の第4位で、年間およそ11万4千人が脳卒中が原因で死亡していると報告されています。
そのうちの約60%が脳梗塞による死亡とされています。
また、脳卒中の場合は、要介護状態になる第一位である事実も重要です。
脳梗塞により残る障害は
- 運動障害
- 感覚障害
- 言語障害
- 失語症
- 平衡感覚の障害
などがあります。
運動障害・機能障害
典型的には、左右片方の手足に麻痺やしびれによる感覚障害が残ったりします。
言語障害・失語症
ろれつが回らず聞き取りにくくなったり(構語障害)や、話したいのに言葉がでなくなったり(運動性失語)、言葉が理解できなくなったり(感覚性失語)があります。
平衡感覚の障害
小脳に脳梗塞が生じた場合には、転倒したり、ふらついたり、めまいが生じたりして、体のバランスが取れなくなることがあります。
予防法としては、
- 『高血圧』
- 『糖尿病』
- 『高脂血症』
の予防が、リスクを減らします。
日常生活で改善できる方法は『禁煙』『過度な飲酒』『肥満防止』などがあり、特に高齢の方は、脳梗塞を起こすリスクが高くなっているので、自らの生活習慣を見直すことが重要です。
誕生日にお花を持ってお見舞いに行った時も、あまり会話は成立しないのですが、
- 『この病院おかしい』
- 『リハビリ イケメン』
またそれかい!
こんな感じで会話にならない会話をしたのを覚えています。
帰り際に手を握って なにか声を掛けようか迷いましたが、 言葉に出来ない不 安と、本人にがんという告知はしていなかったので、不安が伝わってしまうかもという気持ちから、結局手を握ることもなく、いつものように、 また来るね!と普通を装ってその日は帰りました。
別れが近いということ

数日後、 喋るどころか、1日中寝ていて食事もとらなくなっていました。
手を握っても、揺すっても、声を掛けても、寝ているだけ。
もちろん、反応もありません。
その時が近いのは誰の目から見ても明白でした。
医者からも余命1日と宣告され、おばあちゃんや親戚など 病室に入りきれないくらい親類が集まりました。
危篤状態その時なにを?
危篤とは、病状が悪化し、いつ亡くなってもおかしくない状態のことを言います。
たまに意識を取り戻すこともありますが、快復の見込みは無い状態のことです。
危篤状態と告げられた場合、臨終に立ち会いたい場合、病院に泊まりこむことを勧められまが、すぐに亡くなる場合もありますが、病院等との距離間もありますが、2~3日は泊まるくらいの覚悟をしていくことも良いかと思います。
危篤の状態がいつまで続くかはわかりませんが、場合によっては、危篤と告げられてから10日以上、その状態で保つこともあります。
とにかく、危篤の連絡が来た時は、なるべく早く病院へ向かい、臨終の瞬間に立ち会うのが良いと思います。
また、遠方の病院にかけつける場合は、喪服やその他必要な物を一緒に持っていくことも考えます。
まだ死を迎えていないのに喪服?と思うかもしれませんが、病院と自宅を行き来するのが難しい距離の場合は仕方がありません。
そして、危篤の知らせを聞いた時知らせなくてはいけない親兄弟・親戚があります。
この場合は、家族の他には当事者から近い親戚の順で、最も知らせなければならない人を調べることも必要かと思います。
私も子供を連れてかけつけ、昔から病気がちなのに自由奔放な母で、 ほとんど家にいなかったので、私の育ての親のような存在で唯一の実家といえる場所に泊まらせてもらいました。
ちなみにこの育ての親は信じられないくらい良い人で、まだ小学校にも上がっていない赤の他人の私を、2つ返事で預かってくれたようです。
スーパーでたまに会う近所の知り合いの人 それだけの間柄だった人ですが、その日もたまたまスーパーで会って、調子の悪かった母が、その人に言いました。
『もうすぐ検査で入院しなくちゃいけないんだけど、その間この子を施設に預けようと思って・・・』
『じゃあうちで面倒見るよ』
たったそれだけの会話で、 何年もお世話になりました。
そういった事もあって、母が危篤になってもあまり接する機会がなかったからか、特に悲しいということはありませんでした。
翌日の早朝、 みんなに見守られて母は旅立ちました。
お別れとその後

母は自分の死期が近いと察していたようで、遺書のようなメモが残されていまし た。
病院の食事についてくる、献立が書かれた紙切れの裏に、やりたい事や行き たいところなどが箇条書きに書かれてたものと、親や子供などそれぞれに向けて書かれた手紙。
それぞれに今だから伝えられる事を、何枚にも渡って書いていたようです。
が・・・。
私宛てに書かれていた手紙は、「あまり一緒にいられなかったけど、元気に頑 張ってください」たったそれだけでした。
本当にそれだけです。
姉妹やおばあちゃんが、 泣きながら長文の手紙を読んでいる中で、 お姉ちゃ んの旦那宛ての手紙より短いってなんなんだよ !
つーか、最期の別れの言葉がこれかよ と、 なんともいえない憤りに涙が出るわ けもなく、 結局お葬式が終わってから、半年後くらいまで全く涙を流すこともなく、たいして悲しむこともなく、 いつも通りに過ごしました。
気持ちの変化

今までの母の行動や、 最期の手紙でかなりムカついていた私は、母に向けて、 今まで言えなかった文句を散々書いた手紙を棺桶の中に入れました。
まともにほとんど一緒に暮らすこともなく、母なのにどこか他人のように感じていた母親に、 初めて本音を伝えました。
今まで思っていたけど言えなかったことを、 一方的に伝えた気になってた私なんだかスッキリしていました。
そころがある日を境に、 急激に後悔して涙する日々が訪れました。
スマホのバックアップをとるために、 データを整理していたら、
元気だったころの母のメールが残っていたのです。
後悔するとは思っていなかった…

離れて暮らすようになってからも、 私から連絡とることは滅多になく、母のメールは数ヶ月に1度。
- 『お金貸して』
- 『○○買って』
- 『○○のやり方教えて』
もしくは誰かの文句や愚痴 。<
そんなメールしかこない母だったので、手紙で言いたいことを書いたというのもあって、よくわからないスッキリした感じと 謎のもやもやで過ごした数ヶ月でした。
改めて母のメールを見てみると、 母も私との距離感を感じていたのか、遠慮のないメールなのにどこか他人行儀のような そんなメールばかりでした。
『今日の愚痴』みたいな日記メールだったり、お願いするためのお伺いメールだったり、他人行儀な敬語が書かれたメールだったり。
こんなメールが届くのが、 正直嫌でした。
面倒でもありました。
でも、 もう届かないと思ったら、 なぜか急に悲しくなって、母が亡くなってもなにも変わらないと思っていたけど、 母が亡くなったことで、義理兄がやたら高圧的になったり、お金の事で姉妹で縁切りの勢いで揉めたり。
全く意識していなかったところで、今までは母がいたから起きなかった問題が次々出てきて、あんな母親でも役に立ってたんだなー。
そう思うのと同時に涙が溢れて止まりませんでした。
眠っていた本当の気持ち

しばらくなにも手につかず、それでも考えないようにしようと、なにかに没頭しよ うとしたり、 意識を向けないように過ごしていましたが、それでも急に出てくる涙に、 戸惑っていました。
そんな中で気がついたんです。
今まで自分の気持ちを偽っていたと。
母は、周りの評価があまりにも悪かったので、私もずっと否定してきましたが、本当は、母が大好きでした。
もっと一緒に過ごしたいとずっと思っていました。
もっと話がしたいと思っていました。
そのことに気がついたのです。
【お墓参り】 正直な気持ちで『感謝』と『報告』?
お墓参りがあります。
故人に対する感謝の気持ちや近況の報告など、時には、心の支えにと墓前に伝えると言う習わしがあります。
そのタイミングは、こだわりがなく『行きたいと思った時に行く』という気持ちで墓前にお参りするということです。
あえて、祥月命日とかお盆とかお彼岸とかという風に、ある程度の時期を決めて、お参りすることもできます。
真摯な思いで、故人(ご先祖様)を慕い、感謝や近況の報告をすると言うようにお墓参りをして、気持ちの整理がつけられる。
こんな事も考えられます。
それでも生きていく

今となっては、母にはもうどうすることも出来ませんが、私には子供達がいます。
おばあちゃんももう94ですが、健在です。
育ての親だっています。
今、私が出来る事。
なにかをしてあげられる人が身近にいること。
そして、 それはいつまでなのかわからない、無期限ではないということ。
相手がいなくなってしまうかもしれないし、自分が動けなくなるかもしれないし。
それは誰にもわかりません。
わからないけど、 今日という日は確実にあって、今、私は動ける。
それならば、今やるしかない。
そう思って、 今は前を向いて歩んでいます。
まとめ

確かに人生いろいろなことがあります。
そこに10人いれば10人の生活環境が違う、というように何億何万という人が暮らしています。
そんななかで、今井雅之さんのように若くして死去するという人もいます。
そして、残ることは後悔やなぜあの人がなどという気持ちです。
今井雅之さんの死去を悼み、直接の死因となる『癌』という病の恐ろしさやこれらを誘引するような『脳梗塞』などにより、生活の中で、最も大切なものをなくさない心がけの必要性を感じでいます。
がんにかかったらどうしよう、とても毎日を安心して過ごせない気がします。根津甚八さんもがんで亡くなってしまいました。華やかな芸能界ですが悲しいお別れがやってきてしまいますね。
がんにはなりたくないですね~。私も子宮けいがんの検診で擬陽性3aだったのですが、腺癌ではなかったので進行が遅く ワクチンだけで治りました。
私の家の家計にはガンになった人がいないか、探してみました。そしたらいました。親戚のおばさんなんですが、たった数か月前 肺がんで亡くなっています。無念ですね。